文化財

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  • 【日本最古の木造達磨古尊像】
  • 日本最古の木造達磨古尊像かつて聖徳太子と達磨大師との片岡山ご奇遇の因縁によって大師ご自作と伝えられた達磨の尊像が、その遺跡として建立された大和達磨寺に奉安されていましたが、奈良興福寺の衆徒によって同達磨寺が焼却され、ただ「王寺」の名と達磨の墳塋のみが残りました。
    足利義持の時代この寺の再興を企図した際に、この古尊像の行方を探しましたが所在判明せず、別に足利義教時代に之を再刻して達磨寺に奉安しました。その後達磨寺が火災に遭った時にこの達磨像は幸い災火を逃れ、王寺の守護片岡家に安置されることとなりました。
    のちに片岡家一族分散の際に片岡氏はこの達磨像を背負って潜伏浪士の身となり各地を転々しつつこの古尊像を奉安守護されていましたが、寛正の頃(1461~1466年。足利義教時代)になって片岡新介春利(片岡大和守光次)は八幡の地に至り、この達磨像を石清水八幡宮別当田中家に託しました。
    後年、田中家延焼の際にも この像のみ災難を逃れたといい、何度も災厄を逃れたその霊験から、田中家はこの尊像を、天明3年(1783年)円福寺創建に際して境内の堂中に安置しました。 昭和2年、国宝に指定。現在、重要文化財。
    目を大きく見開いた気迫みなぎる坐相は雲水衆の参禅学道のための象徴として、また萬人講参拝者の心の拠り所として古くから信仰を集めています。

【諸堂】
本堂・庫裡
平成15年(2003年)、稲盛和夫名誉会長と京セラ株式会社の寄進により再建。

本堂・庫裡

【本堂】・・・中央壇に釈迦三尊像と本尊の十六善神。左壇には勧請開山の大應国師像、右壇には大燈国師像を奉安。 東方の位牌壇には釈迦十大弟子像、西方の祀堂には地蔵菩薩立像を安置する。

釈迦三尊像と十六善神

【庫裡】・・・玄関、役寮、大小書院の三部に分かる。大書院「蒼龍窟」には建物と共に寄進された伊藤紫虹画伯の襖絵「法界虚空」図が納められている。

法界虚空


【禅堂・達磨堂】
四方単。東西南北の四方にわたって雲水が坐禅する畳上の生活空間がめぐり、堂内の奥側には達磨堂が配置されている。通常、禅堂の本尊は文殊菩薩であるが、円福寺の場合は達磨大師である点からも、他道場とは趣を異にしている。また禅堂入口には蘭山正隆和尚筆「獅子吼」の木額が掲げられている。老朽化により傾きがひどくなり、平成24年(2012年)達磨堂とともに、会下和尚や檀信徒、十方の四衆の信施によって再建される。 達磨堂の左壇には願起斯経禅師の木像、右壇には中興海門禅師の木像が安置されている。

※中興海門禅師・・・円福寺中興 海門禅恪禅師。1743~1813年。中津自性寺の提洲禅恕(白隠慧鶴の法嗣)に参じ、その法を嗣ぎ自性寺に住す。さらに寛政10年(1798年)円福寺に移り、庫裡や禅堂、山門など主な建物の完成に尽力す。文化元年(1804年)妙心寺に入寺、440世となる。文化10年示寂。禅師の「水」に関する墨蹟は「火伏せの霊験あり」と信じられ、これを求めるが多かった。特賜圓通妙覺禅師。

禅堂・達磨堂


【山門】
「江湖道場」の木額は海門禅師筆。平成3年(1991年)再建。

山門


【伏虎窟(有栖川宮旧御殿)】
大徳寺5代管長 見性宗般老師(円福寺14世)が有栖川宮威仁親王殿下の帰依を受けられた御縁で、東京の有栖川宮家にあった建物を高松宮殿下から御下賜されたもの。明治37、38年頃の建物で、昭和元年より円福寺に移築、 昭和3年に落慶式が挙行された。熾仁(たるひと)親王殿下御筆の大額「真是偉観」、徳川實枝子刀自 御筆の「伏虎窟」の大額が掲げられている。

伏虎窟(有栖川宮旧御殿)


【松籟の庭】
平成24年の達磨堂・禅堂の再建記念として八幡市(株)上田造園により施工、寄進。

松籟の庭

萬人講